
新年早々だというのに、なぜかこのネタになる。
世間では、CIA長官のジーナ・ハスベルさんが
フランクフルトの銃撃戦で死亡したとか、あるいは、グアンタナモに送られてから死亡にしたという説が流れているが、
俺の推論によれば、彼女は、生存している。
だが、正確に言えば
「ジーナ・ハスベルは、すでにこの世のどこにも存在しない」
が答えだと思う。
まずは、フランクフルトの銃撃戦についてだが、これは
ドイツのフランクフルトにあるサーバー施設で、米軍特殊部隊とCIAとの間で銃撃戦となり、特殊部隊の兵士5名と、CIAの職員1名が死亡したという事件。
こちらは、WVWというサイトで、米軍のトーマス・マキナニー元空軍中将の音声が公開されている。米軍特殊部隊が、ドイツのフランクフルトにあるCIAが運営するサーバーファームを制圧する作戦を遂行。サーバー押収する際に銃撃戦となり、特殊部隊の兵士5名と、CIA職員1名が死亡したというもの。
この件についは、息子が講師を担当している動画(アカシックコード大学院)でも取り上げられていた。これに関連して、SNSなどでは、CIA長官のジーナ・ハスベルさんが、この銃撃戦の現場に居合わせ、死亡したという噂が多く流れていた。
そもそも、米国大統領選のオペレーション用サーバーが
どうして、ドイツのフランクフルトにあるのか
極めて不自然ではあるのだが、
俺はむしろ
その不自然さゆえにこの噂は事実なのであると思う。
もしも、アメリカ国外にサーバーがあるとしても
それがドイツである必然性はまったくなく
単純に、嘘の事実をでっちあげて噂を流すことが目的であれば
サーバーが中国に設置されていたとする方が、ウケはいいはずだ。
ドイツ政府が沈黙していることからしても、
これは高い確率で事実なのであろう。
また、CIAの長官が、銃撃戦のその場にいたということも
噂として流すネタとしては、
あまりにも、飛躍しすぎている。
だいたいが噂を流すということは、誰かの足を引っ張ることが狙いの場合が多いが、
この件についていえば、そもそもこのような噂を流すことの目的を絞ることは難しい。
つまり、受け手としても、誰のイメージを損なうものかを想定するのが困難なわけであるから
裏を返せば、噂を流したとしても、その意図が達成される見込みは小さい。
だから、俺の感覚としては
これもおそらく、噂ではなく、事実であろうと思う。
以下、俺はCIA職員ではないので
どこかから情報を仕入れているわけではないが、
外から見ていて推察できることとしては
CIA長官は、やはり今回の選挙の不正の部分について
深くかかわっていたのではないか。
だから、特殊部隊がサーバーの押収に向かうという情報を入手し、すばやく証拠隠滅のために、信頼できる部下だけを連れて、みずからフランクフルトに向かったのではないかと思う。
自身が赴かずに部下に任せて失敗すれば、
自らが破滅する話であるから、
これはどうしても、自身で実行する必要があったと思う。
あるいは、自身でなければ、操作できない暗号などがあったのかもしれない。
いずれにしても、CIA長官は、フランクフルトに赴き
証拠隠滅を図っているその最中に
サーバーファームに搾取部隊が突入してきたのであろう。
俺の見たところ、
おそらく、この銃撃戦で、
CIA長官は、ケガはしたかもしれないが、
死亡はしていないと思う。
その理由としては、
先のWVWの情報によれば
>>特殊部隊の兵士5名と、CIAの職員1名
なのであり、特殊部隊とCIAの死者の比率が大きく異なることに最初にひっかかった。
そもそもCIA長官を殺害する目的であれば
手加減せずに撃ちまくればいいわけであり
最精鋭の特殊部隊の側だけにこれほど多くの死者が出るわけがないのである。
おそらくは、
サーバーと生きたままのCIA長官の両方を捕捉することが
今回の作戦の目的であり
5名の兵士の犠牲のもとに、この作戦は成功したのであろう。
トランプ政権が
CIA長官を捉えたことを公表しないのは
おそらくは、長官は司法取引に応じたのであろう。
だから、まず間違いなく彼女は生きていると俺は思う。
しかし、
だからといって
元CIA長官のジーナ・ハスベルさんを探しても
もはや、この世のどこにも見つけ出すことはできないだろう。
ただ、もしも、
世界をくまなく探すことができるのであれば
彼女によく似た別人を見つけることはできるのかもしれないが、
その人は、もちろんジーナ・ハスベルさんではない。
息子の小是空がいうには
年末の動画で、今年は、白と黒が入れ替わる一年
ということであった。
俺の理解によれば
これは、多くの人が信じているものが、真逆に塗り替えられる一年
というような意味あいだと思う。
おそらく、今年は、とんでもないことが
多発する一年になるのであろう。
新年早々に、穏やかではない話になってしまうが、
だからこそ、ここでそう言っておくべきと思うものである。